5月11日「母の日」
母が亡くなって4年が過ぎました。

最近一人暮らしになってから、母を思い出すことが多くなってきたような
母が63歳の時に父が亡くなり、その後20年間母は一人暮らしをしていました。
私が62歳で一人暮らしになったので、ほぼ母が一人暮らしになったのと同じ年です。
「いつも何を考えて暮らしていたんだろう」
「老後の夢や楽しみを持っていたのだろうか」
「一人暮らしになって心細くはなったんだろうか」
「夜中に具合が悪くなったらどうしよう」
「災害が起こったら一人でどうやって避難しよう」
、、、
今の私が考えていることと同じような事を考え、不安に思ったりもしながら一人で頑張って暮らしていたのでは?と想像しています。
母の寝室にはリュックがありました。
その中身は新品の下着とパジャマ、タオル、洗面用具、着替え一式
そしてリュックに名札がつけてあり、その名札には兄と私の名前と携帯電話の番号が書いてありました。
きっと何かの時はこのリュックを背負って避難しようとか急に病院に搬送されるようなことがあった時はこのリュックを持ってきてもらおうと考えていたに違いありません。
なにかあった時はすぐに兄と私に連絡がいくようにと準備していたようです。
このリュックを準備している時の母の気持ちを想像すると今でも涙が出てきて
母の手を握って「大丈夫、何かあったら私がすぐに助けに行くから」と言ってあげられなかっとこと悔やんでいます。
母が元気なころ、年に1回は帰省していたのですが、
実家からまた京都に帰るという時、
玄関でいつまでも見送ってくれている母の姿を思い出すと胸が熱くなります。
その時の母の気持ちがやっとわかってきたような
私が息子を送り出すときの気持ち、
この何とも言えない気持ちを母も私を送り出してくれている時に感じていたのだと
もっともっと母の気持ちに寄り添ってあげてたら良かった。
「何かあったらすぐにかけつけるから」とか
「いつもお母さんのこと思っているよ」と
口に出して母に伝えてあげていれば良かったなと反省しています。
私は母が亡くなる1年半前に離婚してしまったので、母には本当に心配をかけたと思います。
80代の母に娘の離婚問題で心配をかけるなんて
親不孝をしてしまったなと
こんな親不孝な娘を叱るわけでもなく精一杯の手を差し伸べてくれました。
「人は生きてきたように死んでいく」
「人生はプラスマイナスゼロ」
「明けない夜はない」
母のこの言葉にずいぶんと助けられました。
「母の日」にお祝いをする母はもういなくなりましたが、
子供のころからの母との思い出や、母に教えてもらったコト、大人になってから気づいたことなどを思い出しながら今日は過ごそうと思います。
我が家の短~い廊下
朝9時前西向きマンションのベランダから陽ざしが差し込んでんでいます。

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